はじめに
長い距離を走った翌日でも、しっかり眠れた朝は身体が軽く感じることがあります。
逆に、それほど走っていないのに寝不足の日は脚が重く、疲労が抜けていないように感じることもあります。
多くのランナーは経験的に「睡眠は大事」と理解しています。
しかし実際には、なぜ睡眠によって疲労が抜けるのでしょうか。
単純に横になって休んでいるからでしょうか。
実はそうではありません。
睡眠中、私たちの身体ではさまざまな回復作業が行われています。
筋肉の修復、エネルギーの補充、脳のメンテナンス、神経系の回復、自律神経の調整、免疫機能の維持など、多くの重要な仕事が睡眠中に進められているのです。
つまり疲労が抜けるのは、「寝ているから」ではなく「睡眠中に身体が回復しているから」です。
ランニングは走っている時間だけで強くなるわけではありません。
トレーニングで身体に刺激を与え、その後の回復によって適応が起こることで走力は向上します。
言い換えれば、トレーニングは身体を強くする作業ではなく、身体を一度壊す作業です。
そして本当に強くなるのは回復の時間です。
今回は、睡眠中に身体で何が起きているのかをランナー向けにわかりやすく解説します。
疲労はどこに蓄積しているのか
疲労というと、多くの人は筋肉を思い浮かべます。
確かにランニング後には脚の筋肉が張ったり筋肉痛になったりします。
しかし実際には疲労は筋肉だけに蓄積しているわけではありません。
ランニングによって負荷がかかるのは次のような場所です。
- 筋肉
- 腱や靭帯などの結合組織
- 神経系
- 脳
- エネルギー貯蔵(グリコーゲン)
- 自律神経
- 免疫系
つまり疲労とは、身体のさまざまなシステムに生じた負担の総称ともいえます。
睡眠中にはこれらのシステムが同時並行で回復しています。
そのため睡眠不足になると、単純に眠いだけではなく、身体全体の回復が不十分になってしまうのです。
回復機能① 筋肉と結合組織の修復
ランニングは有酸素運動ですが、筋肉には想像以上の負担がかかっています。
特に着地のたびに体重の数倍の衝撃が脚へ伝わっています。
その結果、筋線維には微細な損傷が生じます。
また筋肉だけではなく、アキレス腱や膝周辺の腱、靭帯にも負荷がかかっています。
こうした損傷は決して悪いものではありません。
むしろ適応のためには必要な刺激です。
問題は回復できるかどうかです。
睡眠中、特に深いノンレム睡眠では成長ホルモンの分泌が増加します。
成長ホルモンは筋肉や結合組織の修復を助ける重要なホルモンです。
トレーニングによって生じた微細な損傷を修復し、以前より強い状態へ適応させる働きを持っています。
筋肉痛が時間とともに改善するのも、この修復作業が進んでいるからです。
逆に睡眠不足が続くと修復効率が低下し、疲労が抜けにくくなります。
故障リスクが高まるのもそのためです。
回復機能② グリコーゲンの補充
ランナーにとって非常に重要なのがエネルギーの回復です。
私たちが走るための主要な燃料のひとつがグリコーゲンです。
グリコーゲンは糖質を貯蔵した形で存在しています。
主に筋肉と肝臓に蓄えられています。
- 筋グリコーゲン
- 肝グリコーゲン
長時間走やマラソンではこれらが大量に消費されます。
もちろん糖質を摂取することは重要です。
しかし糖質を食べれば自動的に満タンになるわけではありません。
身体が回復モードへ入っていることも重要です。
睡眠中はエネルギー代謝のバランスが整い、グリコーゲン補充も進みます。
つまり、しっかり食べてしっかり眠ることで初めて回復が完成するのです。
近年は脂質代謝を重視したトレーニングも注目されていますが、それでもグリコーゲンはランナーにとって重要な燃料です。
詳しくは以下の記事でも解説しています。
睡眠不足の状態では、せっかく摂取した栄養を十分に活かしきれない可能性があります。
回復機能③ 脳の掃除(グリンパティックシステム)
近年の睡眠研究で特に注目されているのが、脳のメンテナンス機能です。
睡眠中、脳ではグリンパティックシステムと呼ばれる仕組みが活発になります。
これは簡単に言えば「脳の掃除システム」です。
日中、脳は大量の情報処理を行っています。
その結果として老廃物も蓄積していきます。
睡眠中になると脳脊髄液の流れが活発になり、こうした老廃物を洗い流します。
街に例えるなら、昼間に出たゴミを夜間に回収する清掃車のようなものです。
もし清掃車が来なければゴミはどんどん溜まります。
脳も同じです。
睡眠不足が続くと脳内のメンテナンスが不十分になり、集中力や判断力が低下しやすくなります。
ランニング中にペース感覚が狂ったり、やる気が出なかったりする背景には、この脳の疲労が関係している可能性があります。
実際にランナーが感じる「身体は動くのに走りたくない」という感覚は、筋肉ではなく脳の疲労が原因である場合も少なくありません。
その意味では、睡眠は筋肉を休ませる時間であると同時に、脳をリセットする時間でもあるのです。
回復機能④ 神経系の回復
ランナーは疲労というと筋肉ばかりに注目しがちです。
しかし実際には神経系も大きく疲労しています。
神経系とは、脳から筋肉へ命令を送り、身体を正確に動かすためのシステムです。
ランニング中には常に神経系が働いています。
- フォームの維持
- 接地の調整
- ペース配分
- バランス維持
- 周囲の状況判断
こうした作業はすべて神経系が担当しています。
睡眠不足になると、この神経系の回復が不十分になります。
すると同じ走力があっても動きが雑になります。
接地が重く感じたり、フォームが崩れたり、ペース感覚が狂ったりすることがあります。
また、集中力やモチベーションの低下も神経系疲労の一種です。
実際に「身体は元気なのに走る気が起きない」という状態は珍しくありません。
この背景には脳や神経の疲労が隠れていることがあります。
近年は中枢疲労という考え方も広く知られるようになりました。
これは筋肉ではなく脳や神経系が出力を制限することで起こる疲労です。
身体を守るための防御反応とも考えられています。
詳しくは以下の記事でも解説しています。
回復機能⑤ 自律神経のリセット
睡眠中には自律神経の調整も行われています。
自律神経には大きく分けて二つの働きがあります。
- 交感神経
- 副交感神経
交感神経は活動モードです。
仕事中や運動中は交感神経が優位になります。
一方、副交感神経は回復モードです。
身体の修復や回復は主に副交感神経が優位な状態で進みます。
睡眠中は副交感神経が優位になり、心拍数や血圧が下がります。
この時間に身体は本格的な回復作業へ入ります。
しかし睡眠不足が続くと交感神経優位の状態が長引きます。
すると回復が十分に進まなくなります。
ランナーにとって分かりやすいサインは朝の心拍数です。
疲労が蓄積していると安静時心拍数が高くなることがあります。
また、朝から疲れている、起きても眠い、身体が重いといった感覚も自律神経の回復不足を示している可能性があります。
最近はHRV(心拍変動)を測定できるスマートウォッチも増えています。
HRVは自律神経の状態を反映する指標として利用されています。
睡眠の質が良いとHRVが改善しやすく、逆に睡眠不足やストレスが続くと低下する傾向があります。
回復機能⑥ 免疫機能の回復
睡眠は免疫機能とも深く関係しています。
寝不足が続くと風邪をひきやすくなることは多くの人が経験しているでしょう。
これは気のせいではありません。
睡眠中には免疫細胞の働きが調整されています。
身体に侵入した細菌やウイルスへ対抗する準備も行われています。
ランニングによる高負荷トレーニングは身体にとってストレスです。
特にマラソンやウルトラマラソン後は一時的に免疫機能が低下することがあります。
その状態で睡眠不足が重なると体調を崩しやすくなります。
レース後に風邪をひいた経験があるランナーも少なくないでしょう。
疲労回復というと筋肉ばかりに目が向きますが、免疫機能の回復も睡眠の重要な役割なのです。
なぜ睡眠不足で走力が落ちるのか
ここまで見てきたように、睡眠中には多くの回復作業が行われています。
- 筋肉と結合組織の修復
- グリコーゲン補充
- 脳のメンテナンス
- 神経系の回復
- 自律神経の調整
- 免疫機能の維持
睡眠不足になると、これらの回復がすべて中途半端になります。
その結果として現れるのがパフォーマンス低下です。
心肺機能そのものは大きく変わっていなくても、身体全体が本来の能力を発揮できなくなります。
特に持久系競技ではその影響が顕著になります。
同じペースでも苦しく感じたり、後半に失速しやすくなったりするのです。
詳しくは以下の記事でも解説しています。
トレーニングで強くなるのではなく睡眠で強くなる
この記事で最も伝えたいことがあります。
それは、ランナーはトレーニング中に強くなっているわけではないということです。
走っている最中に起きているのは破壊です。
筋肉は損傷し、グリコーゲンは消費され、神経系も疲労します。
身体は少しずつ消耗しています。
その後、睡眠や栄養によって回復が行われます。
そして身体は次に同じ刺激が来ても耐えられるよう適応します。
これがトレーニング効果の正体です。
つまり、
トレーニングで壊し、睡眠で強くなる。
と言っても過言ではありません。
どれだけ優れた練習を積んでも、回復できなければ成長は起こりません。
逆に、適切な睡眠を確保できればトレーニング効果を最大限に引き出せます。
ランナーにとって睡眠は休息ではなく、競技力向上のための重要なトレーニング時間なのです。
まとめ
疲労は筋肉だけに蓄積しているわけではありません。
脳、神経、自律神経、免疫、エネルギー貯蔵など、身体のさまざまな場所に負担が蓄積しています。
そして睡眠中には次の6つの重要な回復機能が働いています。
- 筋肉と結合組織の修復
- グリコーゲンの補充
- 脳の掃除(グリンパティックシステム)
- 神経系の回復
- 自律神経のリセット
- 免疫機能の回復
睡眠不足とは単に眠い状態ではありません。
身体全体の回復が不十分な状態です。
ランニング能力を高めたいのであれば、練習メニューだけではなく睡眠にも目を向ける必要があります。
睡眠もまた、ランナーにとって重要なトレーニングの一部なのです。
参考文献
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