はじめに
マラソンやウルトラマラソンでは、レース前に目標タイムやVDOTなどの指標から逆算してペースを決める人が多いでしょう。
しかし、そのペース設定は本当に正しいでしょうか。
例えば冬の気温5℃で快適に走れたペースを、気温25℃のレースでもそのまま維持することは難しかったりします。
実際に、多くのランナーが冬に余裕だったペースで夏のレースで突っ込んで苦しさを感じて失速したりする経験を持っています。
僕も気温とペースの関係をよく知らずに、5月に気温30度を超えてしまったレースの日に秋冬と同じようなペースでの入り方をして大撃沈した記憶があります。
これは気合いや根性の問題ではなく、人間の身体が熱に対して示す正常な生理反応です。
レースペースは単純に走力だけで決まるものではありません。
気温や湿度によって発汗量が変化し、それに伴って血液循環や心拍数、体温調節機能まで変化するためです。
今回は、なぜ暑いとペースを落とす必要があるのか、発汗と血漿量の関係、心拍数が上がる理由、気温によるレース戦略の考え方について考えてみたいと思います。
走ると大量の熱が発生する
まず理解しておきたいのは、人間は走ることで大量の熱を生み出しているという事実です。
筋肉はエネルギーを利用して身体を動かしますが、その効率は決して高くありません。
一般的に筋肉のエネルギー効率は20〜25%程度とされています。
つまり消費したエネルギーのうち、約20〜25%が推進力として使われ、約75〜80%は熱として放出されます。
例えば体重70kgのランナーがフルマラソンペースで1時間に800kcalを消費した場合、およそ600kcal以上が熱として体内に発生している計算になります。
身体はこの熱を外へ逃がし続けなければなりません。
もし放熱が追いつかなければ、深部体温は上昇し続けてしまいます。
人間は汗を利用して体温を下げている
体温が上昇すると、脳の視床下部が体温上昇を感知します。
すると発汗が促されます。
汗は皮膚表面で蒸発する際に熱を奪います。
これを蒸発冷却と呼びます。
実は人間は動物という括りの中でも非常に優れた発汗能力を持っています。
犬のように舌で熱を逃がすのではなく、全身の汗腺から大量の汗を分泌することで長時間の運動を可能にしています。
長距離走が得意な理由の一つでもあります。
しかし、この優秀な冷却システムには欠点があります。
汗の材料は体内の水分である
汗は突然生まれるわけではありません。
体内の水分を利用して作られています。
特に運動中は、血液中の液体成分である血漿が重要な役割を担います。
発汗量が増えると、血漿量の減少、循環血液量の減少、脱水が進行します。
1時間に1Lの汗をかけば、単純計算では1時間で1kg体重が減ることになります。
もちろん体内の組織間液や細胞内液からも水分は補充されますが、運動中はまず循環系への負担として現れます。
血漿量が減ると一回拍出量が低下する
血液量が減ると何が起きるのでしょうか。
心臓は血液を送り出すポンプです。
しかし送り出す血液そのものが減れば、一回の拍動で送り出せる血液量も減少します。
これを一回拍出量の低下と呼びます。
心拍出量 = 心拍数 × 一回拍出量
酸素供給量を維持したい身体は、一回拍出量が低下すると心拍数を増加させて補おうとします。
その結果として起きるのが心拍ドリフトです。
心拍ドリフトとは何か
心拍ドリフトとは、運動強度が変わらないにもかかわらず、時間経過とともに心拍数が上昇する現象です。
例えば、平坦コースを同じペース同じ出力で走っていても、開始時140bpmだった心拍数が時間の経過とともに150〜160bpmになることがあります。
これは身体が楽になったからではありません。
むしろ逆です。
発汗による血漿量減少を補うために、心臓が余計に働いている状態です。
暑い日は皮膚への血流も増える
さらに気温が高い環境では、別の問題も発生します。
身体は熱を逃がすために皮膚の血管を拡張します。
すると血液は筋肉だけでなく、皮膚にも大量に送られます。
つまり、走るための血流と冷やすための血流を同時に確保しなければならなくなります。
これを循環競合と考えると理解しやすいでしょう。
筋肉へ送れる血液が相対的に減るため、同じペースでも苦しく感じるようになります。
同じペースでも身体には別の強度として認識される
ここがレース戦略で最も重要なポイントです。
例えば冬の10℃で、キロ5分、心拍数145bpmだったとします。
同じランナーが気温25℃で同じキロ5分を維持した場合、心拍数は155〜165bpmまで上昇することがあります。
ペースは同じでも、身体から見れば強度が上がっています。
つまり、「同じペースだから同じ負荷」ではありません。
暑い日は同じペースでも、実質的にペースアップしているのと同じ状態になるのです。
深部体温が上昇すると脳がブレーキをかける
さらに熱が蓄積すると、深部体温が上昇します。
一般的に深部体温が39℃前後に近づくと、脳は身体を守ろうとします。
すると、強い疲労感、集中力低下、判断力低下、ペース維持困難が発生します。
これは根性不足ではありません。
生存本能による防御反応です。
実際には筋肉より先に脳が危険を察知し、運動出力を制限していると考えられています。
気温が高いほどペース調整が必要になる
もちろん個人差はありますが、一般的には次のような考え方ができます。
| 気温 | レースへの影響 |
|---|---|
| 5〜10℃ | 理想的な条件に近い |
| 10〜15℃ | 影響は比較的小さい |
| 15〜20℃ | やや注意が必要 |
| 20〜25℃ | 明確な影響が出やすい |
| 25℃以上 | 積極的なペース修正が必要 |
さらに湿度が高い場合は汗が蒸発しにくくなるため、同じ気温でも影響は大きくなります。
レースではペースよりも生理学的強度を優先する
暑い日のレースでは、目標ペースに固執しすぎないことが重要です。
冬に成功したペース設定をそのまま使うと、前半から心拍数が上がりすぎて後半に大失速することがあります。
特にフルマラソンや100kmウルトラマラソンでは、「予定ペース」よりも「その日の身体が処理できる強度」を優先するべきです。
心拍数や主観的運動強度(RPE)を参考にしながら走ることで、後半の失速リスクを大きく減らせます。
ウルトラマラソンでは暑熱管理がさらに重要
100km以上になると、熱の蓄積はさらに深刻になります。
1時間あたり0.5〜1.5L以上の発汗が何時間も続くことも珍しくありません。
その結果、次のような流れが起こります。
- 発汗量が増える
- 血漿量が低下する
- 一回拍出量が低下する
- 心拍数が上昇する
- 補給が追いつかなくなる
- 失速する
ウルトラマラソンでは走力だけでなく、体温管理能力や水分管理能力も競技力の一部と言えるでしょう。
まとめ
レースペースは走力だけで決まるものではありません。
気温が高くなると、発汗量増加、血漿量減少、一回拍出量低下、心拍ドリフト、皮膚血流増加、深部体温上昇といった変化が連鎖的に起こります。
その結果、冬に快適だったペースでも、夏にはオーバーペースになることがあります。
特にフルマラソンやウルトラマラソンでは、目標ペースではなく、その日の環境で維持できる強度を基準に考えることが、最後まで失速しないための重要な戦略です。
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